恩師とよべる何人かの方々が、異口同音に人生の教科書として「論語」を薦めてくださったので、22歳の頃から論語に触れる機会を得ています。論語は、人生における成功の道しるべとなる「人としての正しい生き方」を示しています。実生活で遭遇しがちな具体的場面についても書かれていたりして、結構面白いです。

今日は、私が自分への戒めとして、心に置く論語の一節をご紹介します。

子曰しいわく、だ女子と小人しょうじんとは養いがたしとす。これを近づくればすなわそん、これを遠ざくれば則ち怨む。」
~ 孔子が言われた、「女子と小人とはまことに養いにくいものである。近づけると、狎(な)れて無遠慮になり、遠ざけると怨む」 ~

これを最初に読んだとき、「女子と小人って・・・」とちょっと嫌だなと思った一方、でも、自分も含め、ありがちで、思わず「ぷっ」と笑ってしまいました。

小人とは、いつまでたっても人間として成長しない人。つまり普通の人という意味。子供も、そういう点では未熟なので、小人の中に入ります。

歴代首相の指南役を務めた安岡正篤先生は、この一節について次のように述べられています。
「この一節は、昔から世のフェミニストたちによって攻撃されるのでありますが、これは攻撃する方が間違っておる。だいたい人間というものは、女子・小人に限らず、そういう傾向があるものです。よほど修養した人、出来た人は別として、そうでなければ、近づければ不遜になり、遠ざければ怨む。本当に始末の悪いものです」

言われてみれば、本当にそのとおりです。

なので、私は、この一節を肝に銘じようと思いました。

素晴らしい人と出会い、当初は、今までの自分では、到底、お話しする機会など得られなかったであろうと、しっかり自分の「分をわきまえた」接し方をしているのに、少し慣れ、尊敬すべき人が、親しく自分に接してくださると、ついつい、油断して、自分もその人と同じ「格」になったように錯覚し、その人の「すごさ」を忘れて不遜になりがちです。

でも、よくよく考えると、「格が違う(この表現が適切かは、ご容赦ください。その人に比して、成長レベルがまだ劣るという意味。逆に言えば、伸びしろあり!)、尊敬すべき人」との出会いの多くは、どなたかの紹介による場合がほとんどではないでしょうか。
つまりその人が、私に親しくしてくださるのは、紹介者との信頼関係を基になりたっているものであり、自分がその人に信頼されているわけでも、格が等しいわけでもないとの自覚が必要です。

自分のステージを上げるような出会いを提供してくださった恩人を一生忘れず、恩を返せる人間になる。

その時、「格が違う自分」に対しても、分け隔てなく接してくださる修養された人、尊敬すべき人に対し、その優しさに甘えることなく、礼儀・節度をもった言動に注意をし続ける。

また、尊敬すべき人から遠ざけられたときは、怨むのではなく、自分の言動を省みる。

「恩人」と「格が違っても、分け隔てなく接してくださる尊敬すべき人」への感謝と畏敬の念を忘れず、礼儀・節度ある正しい言動、その方々から学ぼうとする姿勢を、どんなに近しい関係になっても、初心を忘れず続けていくこと・・・・。そういった接し方を何年も何年も積み重ねるうちに、人として、認めてもらえる人物になっていくのかなと思っています。

それが、自分の成長であり、人生のステージをあげていくことにつながるのではないでしょうか。

尊敬する人、愛する人に「養い難し」と言われないように生きていきたいものです。